学生を見捨てて逃げ出した『範跑跑』を罵る『郭跳跳』

ここでは、「 学生を見捨てて逃げ出した『範跑跑』を罵る『郭跳跳』」 に関する記事を紹介しています。
尖閣諸島の領有権主張 馬英九総統

声明は(1)釣魚台は台湾に帰属する島嶼(とうしょ)である(2)釣魚台の主権を維持する決心に変わりない(3)日本政府の船艦がわが国(台湾)領海で、わが国の漁船を沈没させ、わが国の船長を拘留したことに抗議し、船長の釈放と賠償を要求する(4)海巡署(海上保安庁に相当)の編成と装備の強化を行い、主権と漁業権を守る機能を高める−とした。

我が国にはやみくもに台湾に好意を寄せる人がいるが、これは台湾人が投票で選んだ総統つまり大統領の主張であることを忘れずに。

この問題に関しては尖閣と八重山中国が尖閣諸島を日本の領土と認知 in 1920の部分を参照していただきたい。

njrさん

今どきの中国の掲示板にはこういう嫌韓ネタがいっぱいころがっていますよ。端午の節句の無形文化遺産登録とか漢字はウリナラ起源とかがひびいているようです。

ここから関連のトピックを見ることができるので、興味のある方はどうぞ。

さて、今回の元スレはここだ。昨日に引き続き、地震でまっさきに逃げ出した、中国で最もホットな人物を紹介する。この人物に付けられたニックネームは「範跑跑」で、「範」は姓、「跑」というのは「逃げる」や「走る」などの意味をもち、「跑跑」という漢字を繰り返すネーミングはパンダの名前でおなじみだろう。

範跑跑

『範跑跑』は番組の中で自分が中国で最も優秀な文系教師の一人だと話した


範跑跑

『郭跳跳』は『範跑跑』を恥知らずと罵った


 『5·12』大地震の際に、中学校の教師である範美忠が学生を見捨てて、自分一人が教室から逃げ出し、ブログの中で『このように生死にかかわる瞬間に、自分を犠牲にする価値があるのは、娘一人だけだ。他の人は、たとえそれが母親であっても同じことだ』と書き、さらに『ひとかけらのやましさもない』と述べたため、多くの非難が巻き起こり、『範跑跑』というニックネームを付けられた。

 6月7日の鳳凰衛星テレビの番組《一虎一席談》の中で、範美忠は自分が『逃げ出した事件』について番組のゲストと言い争い、反対派の郭松民が『恥知らず』、『畜生』、『雑種』などの言葉で範美忠を罵り、激昂したあげく、スタジオから退出したため、ネット上で『郭跳跳』や『郭道徳』などというニックネームを付けられた。ハンドルネーム『浪漫的老虎』は、凱迪ネットにこう書き込んだ。番組を見た後、ふと思ったんだけど、もし自分で選べるなら、誰を自分の先生にしたいと思うかな?

 命一つ一つをみた場合、人の命の価値は平等で、地震が起きた際に逃げ出した人に対して、それを受け入れることができるはずだ。この価値観が多元化した社会で、範美忠が一般人として選んだ道は高貴とは言えないが、それを受け入れ許されることができるはずで、大きな間違いはないように思われる。教師としての範美忠は生存という本能により逃げ出したのかもしれないが、同じような行動をとった教師はほかにもいるはずだ。ただ逃げ出した後に『ひとかけらのやましさもない』と信じているとしても、それを公にするべきではなく、それを得意げに語るということ自体、教師としての範美忠は道徳的に欠陥があるとみなすことができる。

 範美忠はもともと学生に人気のある教師で、中国で最も優秀な文系の教師の一人かもしれない。ただ教師の責任は学問を教えることにとどまらず、人を育てることも含まれる。範美忠の間違いは自分が卑屈であるにもかかわらず、高尚な精神を卑下していることであり、自分が自己を優先しただけのくせに生命が自己を優先するなどとうそぶいていることである。範美忠が優秀な教師としての責任を全うしていないことは明らかである。

 『範跑跑』が完ぺきではないのは確かだが、今回のテレビ討論会での『郭跳跳』のパフォーマンスもピエロのようで、滑稽だ。彼の怒りは純粋なものだと信じたいし、彼の道徳観も尊重するが、公共の場で他人に対してひどい言葉をつかったり人身攻撃をしたことは受け入れがたい。

 『敝帚自珍(壊れた箒さえ大切にする、良くないものでも自分のものは大切にする)』という言葉があるように、自分の信念や考えを堅持するのは人としてよくあることだ。しかしながら、もし自分が正しいと思うことを他人に押し付け、他人に受け入れられないからと言って怒り狂うのはいかがなものか。理性を失った罵倒で理性的な討論をぶち壊し、テレビ番組の中で『恥知らず』、『畜生』、『雑種』などという言葉を使い範美忠にひどい人身攻撃をしかけるというのは、他人に対する最低限の尊重すらないことを示している。高尚な道徳は提唱されるべきだが、他人にヒーロー的な道徳レベルに達するよう強要することはできない。

 『郭跳跳』は理性と最低限の礼儀を欠いていて、人前で範美忠を罵倒し、何度も何度も光亜学校の卿校長の話を遮った。『郭跳跳』は範美忠の考えに同意しなくてもかまわないが、自分を『神様』や『救世主』だと勘違いしてはならない。『郭跳跳』が道徳や正義の代表になろうとしていようがいまいが、テレビ番組中の行為は全く『道徳的』でもなければ『正義』でもない。どれほど怒り狂おうが、理屈がそれに伴っているとは決して言えず、『郭跳跳』の過激な反応こそ彼自身の道徳的そして人間的欠陥を表している。

 テレビ番組の後、郭松民は自分のブログに《鳳凰テレビに出演 怒ったことを後悔せず》という文章を発表した。その中で、自分が番組中に怒りをぶちまけてしまったことには満足していないが、後悔もしていないと書いている。その理由として『怒るということ、つまり怒りは、中国ではいまだに足りない要素で……自分にはそれが備わっている』ということだった。これと範美忠が地震後にブログで発表した『ひとかけらのやましさもない』とそっくりではないか!怒りが素晴らしい要素に化かされているが、『郭跳跳』と『範跑跑』の間には道徳的差異はない。範美忠は人間性の弱さに面と向かい、自分の心の中を表現したのも『素晴らしい要素』ではないのだろうか?どうして同じような人間が、自分を神棚の上にまで持ち上げ、他人を地獄に貶めようとするのだろうか?

 『郭跳跳』が実際に災難に出くわしたとき、『範跑跑』よりほんの少しでも勇敢でいられるかどうかを疑うに十分な理由がある。『郭跳跳』がこのテレビ討論の中で明らかにしたのは、自分が道徳のかけらもなく、理性のかけらもない人間だということで、この人物も教師としては失格だということだ。」




中国についてなにかを感じたら人気ブログランキングをクリックして応援してほしい。多謝。
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://chinabbs.blog40.fc2.com/tb.php/1177-757a1e9f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック